翻訳と辞書
Words near each other
・ ヨハン1世
・ ヨハン1世 (ザクセン王)
・ ヨハン1世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン1世 (バイエルン公)
・ ヨハン1世 (プファルツ=ジンメルン公)
・ ヨハン1世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)
・ ヨハン2世
・ ヨハン2世 (スウェーデン王)
・ ヨハン2世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン2世 (バイエルン公)
ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)
・ ヨハン3世
・ ヨハン3世 (スウェーデン王)
・ ヨハン3世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン3世 (バイエルン公)
・ ヨハン3世 (ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公)
・ ヨハン4世
・ ヨハン4世 (バイエルン公)
・ ヨハン6世
・ ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公) : ミニ英和和英辞書
ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)[よはん2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公) : ウィキペディア日本語版
ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)[よはん2せい]
ヨハン2世(Johann II, 1492年3月20日 - 1557年5月18日)は、プファルツ=ジンメルン公。プファルツ=ジンメルン公ヨハン1世とナッサウ=ザールブリュッケン伯ヨハン2世の娘ヨハンナの次男。
1508年バーデン辺境伯クリストフ1世の娘ベアトリクスと結婚、翌1509年の父の死により領土を相続した。宗教改革プロテスタントに改宗、選帝侯であるトリーア大司教マインツ大司教と対立した。1557年に死去、息子のフリードリヒ2世が後を継ぎ、1559年プファルツ選帝侯位も継承した。
== 子女 ==
最初の妻ベアトリクスとの間に12人の子を儲けた。
#カタリーナ(1510年 - 1572年) - クント女子修道院長
#ヨハンナ(1512年 - 1581年) - ボッパルト女子修道院長
#オッティリア(1513年 - 1553年)
#フリードリヒ2世(1515年 - 1576年) - プファルツ=ジンメルン公、プファルツ選帝侯
#ブリギッタ(1516年 - 1562年) - ノイブルク・アン・デア・ドナウ女子修道院長
#ゲオルク(1518年 - 1569年)
#エリーザベト(1520年 - 1564年) - エルバッハ伯ゲオルク2世と結婚
#リヒャルト(1521年 - 1598年) - プファルツ=フェルデンツ公ゲオルク・ヨハン1世の娘アンナ・マルガレーテ(1571年 - 1621年)と結婚
#マリア(1524年 - 1576年) - ボッパルト修道女
#ヴィルヘルム(1526年 - 1527年)
#ザビーネ(1528年 - 1578年) - エフモント伯ラモーラルと結婚
#ヘレネ(1532年 - 1579年) - ハーナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップ3世と結婚
1554年、オエッティンゲン伯ルートヴィヒ15世の娘マリア・ヤコベアと再婚、子は生まれなかった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.